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台湾アカデミー賞こと、金馬奨最優秀ドキュメンタリー賞受賞!『日曜日の散歩者 わすれられた台湾詩人たち』ホアン・ヤーリー監督インタビュー

10.28.2017

11/4(土)より大阪シネ・ヌーヴォを皮切りに関西でも順次上映が開始される台湾発・社会派文芸映画『日曜日の散歩者 わすれられた台湾詩人たち』。1930年代、日本統治下の台湾に出現したモダニズム詩人団体「風車詩社」にスポットを当て、当時の厳しい政治状況下で彼らがどのような詩を創作していたのかを貴重な資料映像と共に蘇らせた作品となっている。

第53回金馬奨最優秀ドキュメンタリー賞を受賞したホアン・ヤーリー監督の長編初監督作品となる本作について、監督本人にお話を伺った。

 

 ホアン・ヤーリー監督

 

 

 

 

このドキュメンタリーを通して、その時代、そこで生きた文学者の姿を知って欲しい。

観客が能動的な姿勢でこの映画と対話するような関係を作り出したい。

 

ーどうして映画監督になろうと思ったのですか。またそれはいつ頃ですか。

 

私が高校だった時に、ある先生を通して少し変わった映画もあることを知りました。高校時代、キェシュロフスキー監督[※1]が亡くなって、先生がその事で悲しんでいました。僕はまだ映画監督の訃報でこんなにも悲しむ事が理解できなかった。そしたら先生は僕に『ふたりのベロニカ』という映画のDVDを貸してくれました。初めてそれを観終えた後、僕は衝撃を受けました。それが僕の映画に対する啓蒙でした。

 

その時、ハリウッド映画のようなものだけでなく、映画にもいろんな表現形式があるのだなと感心しました。それから映画に対してある種の憧憬を抱くようになりました。その時から映画監督を目指して、勉強するようになりました。

 

ーこの映画の撮影方法について、どうしてこのような形で撮ろうと思ったのですか(この映画はいわゆるドキュメンタリー映画のような「語り」を主としたものではなく、「詩の朗読」「過去の写真やシュルレアリスム芸術作品を多用した貴重な資料映像」「前衛的な手法の再現パート」の3つの要素で構成されている。)。

 

 

 私が思うにこの映画は特殊です。この映画は、日本の明治時代にあたる時代の、台湾のモダニズム詩人団体「風車詩社」[※2]をテーマにしています。この映画をドキュメンタリーとして撮影しようと思ったのは、これらの事が実際にあった出来事だったからです。彼らの創作した作品、文学生命は本当に存在したものです。風車詩社の文学者たちは国民党政府がやって来て、台湾が政治的な緊張を抱えた時でも、頑張って活動をしていました。私は理想のために追及したり、探索したりする彼らの姿にとても感銘を受けました。

 

一般的なドキュメンタリーでは、例えばその人のプロフィール、どこで生まれ、どこで教育を受け、誰と結婚するなどの情報を主としていますが、それらの情報以外にも知らなければならない事があると思います。より深く彼らの人生や台湾の歴史、出来事について問わねばならないと思います。文学的な発展(西洋から日本、そして日本から台湾への文学的な影響)と、実際にあった出来事の間にどんな内的な関連があるのか、あるいはどういった影響があったのか、また個人と時代の関係性とはいかなるものなのか。そういったことを私はドキュメンタリーで少しでも伝えたかったのです。その時代、そこで生きた文学者の姿を知って欲しいのです。

 

このような方法で映画を作るのは、一定数の観客に距離感を与えてしまうことは私もよくわかっています。そして、距離感があると同時に、観客はある程度積極的な姿勢でこの映画に関する知識を学ぶ事が必要とされています。

観客の感想で、挫折したとか、内容が全然分からないとか、風車詩社やその時代についてもっと知りたいと思ったとか、いろんなものがありました。

 

私は、観客が能動的な姿勢でこの映画と対話するような関係を作り出したいと思っています。これは、他のドキュメンタリーにはあまりできないことだと思います。

 

 

 

[※1]クシシュトフ・キェシロフスキ。ポーランドの映画監督。『ふたりのベロニカ』など。

 

[※2] 「風車詩社」とは、台湾の古都・台南で、日本語で詩を創作し、新しい台湾文学を創りだそうとした、モダニズム詩人団体。植民地支配下で日本語教育を受け、日本留学をしたエリートたち。日本近代詩の先駆者であり世界的評価を得ているモダニスト西脇順三郎や瀧口修造をはじめとする、日本文学者たちから刺激を受け、日本文学を通してマルセル・プルースト、ジャン・コクトーなどの西洋モダニズム文学に触れる中で、若きシュルレアリストたちの情熱が育まれていった。日本語で新しい台湾文学を生みだそうとした彼らは、戦後の二・二八事件、白色テロなど、日本語が禁じられた中で迫害を受けていく。

 

 

 

©2015 Roots Fims Fisfisa Media All Rights Reserved.

「風車詩社」のメンバーたち

 

 

 

日本語での創作の葛藤、その背景にあるもの

 

 

監督自身のシュルレアリスムの定義を教えてください。

 

この映画での私の目標はシュルレアリスムの伝播に重点を置いている訳ではないです。ただシュルレアリスムの関連で、色んな人がその為に映画に対して興味を持ってもらえることは確かです。

 

シュルレアリスムは最初西洋から発展した思想で、それが日本に伝わり更に台湾に影響を及ぼす、というような植民地統治を経由してシュルレアリスムを吸収することになりました。このような文化現象(シュルレアリスムというものを違う地域で違うルーツを経由していること)については興味があります。

 

このような過程をたどって文学者達が自分の文学を探求する中で「シュルレアリスムとは何か」「シュルレアリスムの最初の意味は」といった問いは段々大きな問いではなくなってきてしまうように思います。

 

だからこの映画ではシュルレアリスムの伝播は単なる一つの方法です。それを通して私たちは当時の台湾と日本、台湾と世界の関係を理解する方法の一つにしたいと思っています。

 

風車詩社の人達は台湾人でありながら日本語で創作することへの葛藤があったと思うのですが、監督をはじめ今を生きる台湾の若い世代は自身の言語をどのように捉えていますか。また日本語で創られた詩は台湾文学だと思いますか。

 

実は彼らは苦労したこともありました。風車詩社の殆どの詩人達は1910年代に生まれており、彼らは普通の文学者、普通の台湾人とは身分が異なるので、ある意味ではとても特殊です。いわゆる中産階級、豊かな環境のもとで生まれた人達であり、日本語で育てられました。だから彼らの母語は台湾語ではなく日本語だと感じています。

 

更にもうひとつ付け加えると風車詩社の人達が自分の祖父母とコミュニケーションするときに、祖父母は台湾語で生活しているけれど、風車詩社の人達は台湾語を上手に話せず、あまりコミュニケーションがとれなかった、ということを映画制作の中で知りました。だから彼らにとって日本語で創作することは自然であり、一番上手く自己表現出来る言語が日本語であったのでしょう。それはあくまでも風車詩社の人達に限定される話で、当時の台湾では異なる階層、生活などの違う背景がそれぞれにあるので、あくまでも一部の話です。

 

しかし彼らでも日本語以外の選択肢があったのではないか、という疑問もあります。例えば1930年代はいわゆる台湾語論争[※3]がありました。この論争が起こった当時の彼らはとても若く、台湾語もあまり話せなかったので論争にも積極的に参加する気力を持てませんでした。

 

ただ唯一、映画の中でも出てきたように李張瑞(り・ちょうずい)は「自分たちが日本語で創作すること、これは台湾文学になりえるのか」という疑問を呈しています。台湾文学と台湾で使われている言語との問題について、彼らは反省しています。私はそのことを映画のなかで敢えて入れました。

 

またこのような李の証言が残っていたことに感動しています。なぜならこの証言がないと文学者達が当時どのような葛藤を抱いていたのかを知る由もなかったからです。

 

彼らが(創作において)日本語を使うのは簡単ではありません。日本語は権力者達の言葉であり、自分の置かれている環境と矛盾がでているのではないか、とも思ったでしょう。もちろんこの映画を観て、「どうして彼らは日本語で創作するのか」という批判もでてくるかもしれませんが、彼らの置かれている歴史的状況を考えれば、日本統治期に高等な日本語能力を有しながら、台湾語で文学を遂行させるのは逆に難しかったのではないでしょうか。

 

このような植民地の難しい環境では彼らの日本語文学は台湾文学になり得るのか、実はわたしも断言出来ません。それは日本人文学者である西川満の文学が日本文学なのか台湾文学なのか断定できないことと同じです。

 

しかし風車詩社の人達が体験した時代に戻って、彼らが見たもの、感じたものを私は映画を通して表現したいと思っています。そのような作業を通して、彼らはもしかして違う選択肢(日本語以外での創作)を選ぶ可能性があったのか、また他の可能性があった場合にはその背景は一体何なのかを考えなければなりません。

 

 

 

[※3]「台湾和文論争」は1930年代に起こり、32年にピークを迎え、34年まで続いている。当時の台湾和文は左翼的な思想が強かった。彼らが文学を通して、大衆に革命を起こそうという動きがあった。大衆に関わっている限り、大衆がどのような言語を使っているかが大切である。中国白話文を使うという動きもあった。白話文を通して、中国と連携するという動きもあった。当時の台湾語はきちんとした表記システムがなかった。

風車詩社の人々は東京へ留学してから帰ってきた後に、自分達の日本語文学を発展させることを選んだ。左翼思想、リアリズム、プロレタリア文学の中で、文学はひとつの方法で、大衆とつながる方法である。風車詩社の人々にとっては言語も芸術として自分達が発展していきたいものであった。言語の中には芸術の豊かさが既に感じられるので、その文学が利用されることを拒否している。

 

 

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芸術家の作品を使用して記録を残すことで、風車詩社の人達が経験した時代を見る

 

写真や絵はどのような基準で選んだのですか。その中で神戸の中山岩太氏を選んだ理由はあるのでしょうか。(本作には詩の他に当時の写真、モダニズムに関連した芸術作品や音楽が多用され、その中の一つに神戸出身の画家の絵が出てくる)

 

文字や映像を含めて、ある種、全て視覚印象からの引用です。風車詩社には沢山の作品と論述が残されていますが、確実に残っているものは数が少なく、私はその中から、自分の想像も入れて、感じとったものを映画に表現しました。残された物を通して、いかに風車詩社を理解できるかのプロセスを大事にしました。

 

ある程度の知識が必要ではありますが、映画を製作する際には知識的な判断だけではなく、私の感情的な判断と直感的な判断も大切にしました。だから、風車詩社の解釈は私の理解に沿った形になっています。

 

観客が風車詩社を理解する上で、写真や絵はひとつの重要な手段であると私は思っていますが、私自身も観客の一人であるので、詩の本質を風車詩社の作品を通じて感じ、視覚、聴覚、文字や映像や音楽を通して、ポエジーを感じてほしかったのです。

 

映画の中で沢山の画家や芸術家の作品を使っているので、中山さんに関してのみを答えることはできませんが、文学者、芸術家の目を通してもう一度、30年代、40年代の時代の雰囲気を感じられるようにしています。これらの芸術家のシーンはどのように撮るのか、どのような構図で撮るのかは、観客に風車詩社の人々が体験した時代を体験してもらえるようにしています。芸術家の作品を使用して記録を残すことで、風車詩社の人達が経験した時代を見ることができると思っています。

 

私は単にこの映画をただ享受するだけでなく、また映像や音を楽しむだけでなく、彼らが何を見たのか考えてほしい、深く考えてほしいと観客に期待しています。

 

制作にあたり史実を基に詩人たちがどのような道を辿っていたのか想像しました。単なるノスタルジーではなく、芸術家たちは実際にひとつの時代の中でお互いに交流しあって来ました。ですので、彼らが何を見てきたのかに思いを馳せることは当時の芸術家たちの精神に近づくことでもあるのです。

 

 

 

 

 

■『日曜日の散歩者 わすれられた台湾詩人たち』作品情報

《物語》

1930年代、日本による植民地支配が40年近く経過した台湾は、安定した同化の段階に至っていた。この時期において台湾に登場したのが、モダニズム詩人の団体としては最も早い、「風車詩社」である。

日本の文学者たちとの交流や、留学先の日本で最先端の文化や芸術に触れる中で、西洋モダニズム文学の波は、台湾の若き詩人たちに大きな衝撃をもたらした。マルセル・プルースト、ジャン・コクトーなど、西洋モダニズム文学に対し大きな憧れを抱いた彼らは、仕事が休みの日曜日になると、古都・台南を散歩しながら、シュルレアリスム詩について語り合った。母国語ではない日本語で詩作する事への葛藤と哀しみを抱きつつ、彼らは自分たちの台湾文学を築こうと、同人雑誌『風車』を創刊した。しかし植民地支配下の台湾ではプロレタリア文学が主流であり、彼らのシュルレアリスム詩は理解されず、風車詩社は1年半で活動を終える。

1937年、盧溝橋事件をきっかけに日中戦争が勃発する。日本の敗戦を経て、戦後は蒋介石の中国国民党による独裁時代へと移っていく。1947年の二二八事件では、風車詩社の主要メンバーであった楊熾昌と張良典が無実の罪で入獄させられ、1952年には白色テロによって李張瑞が銃殺された。

日本語で自分たちの新しい台湾文学を築こうとした、シュルレアリスム詩人たちの葛藤と、その時代の日本人文学者たちとの交流、そして西洋モダニズム文学のもたらした衝撃が、貴重な資料映像と、彼らの詩と共に映し出されていく。(公式サイトより)

 

公式サイト https://sunpoday.com/

関西上映情報

大阪 シネ・ヌーヴォ(11月4日(土)より上映)

京都 京都みなみ会館(11月22日(土)より上映)

兵庫 元町映画館(近日公開予定)

 

■Profile 黃亞歷(ホアン・ヤーリー)監督

映像と音の関連性、およびそれらの可能性を広げることに関心を持つ台湾のインディペンデント映画作家である。近年、日本植民地自ぢ亜の台湾に関するドキュメンタリーに関わっている。ドキュメンタリーのリアリティー解釈においては、歴史的な調査と検証を重視。台湾とアジア及び世界との関係を作品に投影することをテーマに制作を続ける。長編映画デビュー作となる本作で、台湾のアカデミー賞といわれる金馬奨最優秀ドキュメンタリー賞を受賞。

 

 

 

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